鮭の歴史|アイヌと鮭の関係

日本の食卓に欠かせない「鮭」は、日本の歴史を語るうえで無くてはならない存在だということをご存知ですか。

秋田県南部にある由利地方には子吉川が流れており、この中流域に位置する矢島町では、県の重要文化財に指定されている「鮭石」と呼ばれる線刻の石が多数発見されており、さらにこの近辺では石器や土器も多く発掘されており、およそ2000年以上前にこの地に暮らしていた先住民たちが鮭の豊漁を願い、自分たちの手で刻んだものではないかと考えられています。

また、古墳群が数多く存在する長野県北部にある長野盆地は、千曲川と犀川が合流する地点があり、古代において我が国有数の鮭の産地であったことが明らかにされており、日本人にとってどれほど「鮭」が重要な食糧だったのかが分かります。

特に北海道における鮭の歴史は本州よりも深く、なんと南サハリンを起源とするオホーツク文化最大の遺跡「モヨロ遺跡」から数多くの白鮭やサクラマスの遺骨が発見されており、この地に住んでいた海猟民・オホーツク人 (ギリヤーク族 / ニブフ民族)が、産卵のために戻ってきた鮭を獲っていたと考えられています。

北海道と鮭に関する歴史は他にもあります。

アメリカのウィスコンシン大学で歴史学の博士号を取得後、世界中の食べ物や文化、環境をテーマに執筆活動を行っているニコラース・ミンク氏は、鮭の食文化史を詳細に記した「鮭の歴史」という本の中で『アイヌの鮭文化』について記しています。

そこで、今回は北海道・樺太・千島列島の先住民族「アイヌ」の人々と鮭の歴史についてご説明します。

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アイヌと鮭の歴史

17世紀から19世紀にかけて、北海道・樺太・千島列島ならびにロシアのカムチャツカ半島南部を中心に居住していた「アイヌ」の人々は、元来物々交換による交易を行う狩猟採集民族であり、オホーツク海地域一帯を経済圏として有していたと言われています。

アイヌの言葉で「鮭」は、「我々が食べるもの」「食べ物」という意味を表す「シペ」と呼ばれており、とても鮭を大切に扱っているようには思えないのですが、彼らの集落で行われる儀式や家の造りなどを見ると、ほぼ全てが鮭と鮭の産卵場所によって決定されていたことが明らかにされています。

アイヌの人々が住む家は、彼らが住むと同時に鮭の燻製や干物作りを行う加工場でもあるため、屋根のふたつの傾斜のうち、一方もしくは両方の小屋裏に空間が設けられており、住民はそこに獲ってきた鮭を吊るして燻製にしたり、屋外に設置された鮭専用の干し棚に吊るして干物にしていたそうです。

こうして作られた鮭の燻製や干物は、「サッチェプ」と呼ばれ、アイヌの人々の食生活の中心的存在として扱われ、江戸時代になると、本州にも「サッチャプ」が伝わり、日本人のあいだでも鮭の燻製や干物を食べる習慣が生まれ、現在に至ります。

神様になった「鮭」

アイヌの人々は、鮭のことを「神の魚」という意味を表す「カムイチェプ」と呼ばれています。

「あれ、「鮭」はアイヌ語で「我々がたべるもの」「食べ物」という意味を表す「シペ」と呼ばれているのでしょう?」と疑問に思った方も多いと思います。

確かに「鮭」はアイヌ語で「シペ」と呼ばれているのですが、この言葉には「主食」という意味も含まれており、彼らにとって「鮭」という存在がどれほど重要なものであったのかが、この言葉からお分かり頂けたのではないでしょうか。

アイヌの人々にとって、身の回りのもの全てが「カムイ (神様)」の国からやってくると考えられており、産卵のために河川へ戻ってくる鮭たちもまた、神様の国からやってくる貴重な存在として捉えており、「神の国からやってきた鮭たちは、人間が住む国で食べ物となり、再び神の国へ帰ってゆく」と信じていました。

このような精神文化は、アイヌの人々だけではなく、北方圏に住む人々に共通することであり、カナダの先住民族にも鮭に纏わる伝説が、今も語り継がれています。

また、あまり知られていませんが、福岡県や京都府、鳥取県、石川県などの地域でも、鮭がご神体として祀られています。

今回は鮭の歴史やアイヌとの関係についてご説明させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。

私たちが普段何気なく食べている鮭に関する食文化は、北海道の先住民族「アイヌ」の人々が居なければ、存在しなかったのではないかと考えると、彼らの存在がとても大きく感じられます。

鮭の歴史は、日本の食文化の歴史でもありますので、この機会に鮭についていろいろと学んでみてはいかがでしょうか。

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